その8

初めてのヒッピー


香港から中国、ベトナムを経て、タイのバンコクに流れ着いた。そこでまず最初に驚いたのは、バンコクの発展ぶりだった。

バンコクには、ありとあらゆる店があり、抜群の交通インフラを持っていた。そしてビジネス街には、多くの高層ビルが立ち並んでいる。そして、少し離れた場所には市場があり、肉は生きた状態で店頭に並んでいる。
日本のスーパーマーケットや市場のように、清潔な場所しか見たことがない人間は、市場から発せられる生き物の強烈な臭いに圧倒されてしまうことだろう。
近代的にも関わらず、アジアの持つ熱気が失われていない都市は、先進国から来た人間からすれば、とても魅力的に映るのではないだろうか。

ベトナムに居た時に感じていた緊張感が、少しずつ無くなっていくのが良くわかった。肩の力が少しずつ抜けていき、日本を離れてから久しぶりに感じる安堵感がそこにはあった。それは本当に心地良かった。空港に降り立ってまだ間もないのに、タイにハマって抜け出せなくなる日本人の気持ちが何となくわかった気がした。

バンコクに来てからすぐに気づいたのは、日本人の多さと日本語の看板だった。バンコクのどこに行っても日本人が居るし、街中で日本語が飛び交っている光景を見るのも珍しくなかった。

他のアジアでは、日本人をほとんど見ることはなかった。当然、街中で日本語を聞くこともなかった。どうやら話で聞いていた以上に、ここにはかなりの数の日本人が住んでいるらしい。

空港から真っ直ぐ泊まることにしている宿に向かった。空港から電車やバスを使って、約2時間ほどで着くことが出来た。
バンコクの日本人宿には、多くの人が泊まっていた。やはり日本人にとってバンコクは住みやすいのだろう。
この宿は人気があるらしく、初日しか空きがないと受付で言われてしまった。
これまでに泊まった日本人宿は、あまり人気がなく、空室が目立っていた。その印象が強く残っていたため、空室がないと言われたのは、とても意外だった。

この宿に集まっている日本人の多くは50歳以上の高齢者だ。そして、その多くが日中から共同部屋のテレビをボーッと見ている。それ以外の人も、日がな一日をボーッと過ごしている人が大半だった。宿泊客というよりは立派な住民だった。
この宿には長期滞在者が多く、半年以上も滞在しているのが数人。中には、3年以上も住んでいるという強者もいた。

そんなにも長期滞在が可能なのは、この宿の宿泊費が信じられないくらい安いからだ。今まで泊まった海外の宿の中でもダントツの安い!それでいて部屋は狭くなく、とても清潔だった。


宿泊費が安く、日本人だけが集まる宿。そこはバンコクに居るのをついつい忘れてしまう、日本人の日本人のための「加齢臭あふれる」宿だった。その臭いに誘われて、色々な日本人が蛍のように集まる。その蛍が綺麗かどうかは問わないで欲しい。

そしてその日の夜、談話室で1人の日本人と知り合った。

30歳後半で少し痩せている。服やアクセサリーの持つ雰囲気がヒッピーを彷彿とさせる。彼がタバコを吸う度に、タバコの臭いとは違う、柑橘系の甘い匂いがあたりに立ち込める・・・この匂い・・・ひょっとして・・・今は亡き有名人が、「俺はもうパンツを履かない!」と言わしめたアレか!と勝手に思っていた。

やはり、タイに居る日本人はデンジャラスなのか・・・もし気を許せば「人間辞めますか?それとも・・・」のように、バンコクで漬物同様の生活することになるのか・・・と数日間も本気で思っていた。今となってみれば大変失礼な話である。

彼のことをヒッピーさんと呼ぶことにする。まぁ・・・そのままだ。

バンコクにいた数日間は、自分、ヒッピーさん、仲良くなったもう一人の日本人の方の計3人で行動することが多かった。

ヒッピーさんは外見だけでなく、内面もヒッピーだった。ヒッピーさんの迸るLove&Peaceの精神は、自分の視界に入った全てのタイ人と仲良くしなければいけない!という、どの電波塔から指令されているのか良くわからない使命感に満ち溢れていた。

タクシーの運転手に「指差しタイ語会話帳」で、話しかけるヒッピーさんの姿は、まだ鑑賞に耐えられた。
しかし、カオサンにいた風俗関係の客引きのオッサンと、会話本でZ規定に引っかかる交渉をしていたのは、指差し会話本のマスコットキャラが痛々しく思える良い思い出だ。

少し目を離すといつの間にか、まるで昔からの友達かのようにタイ人と指差し会話をしているヒッピーさん。
観光だけでなく、その国に住んでいる人を知ることで、心の底から海外を楽しもうとしている姿勢が、自分にはとても羨ましく見えた。

チケットを購入するため、ヒッピーさんとファランポーン駅へ行った時のことだった。ふと目を離すと、いつの間にか警備員らしき中年の男性と話をしているヒッピーさん。

「この時期、鉄道のチケットは手に入らないらしい。この親切な警備員さんが教えてくれたよ~」と、警備員らしき人と英語で会話していたヒッピーさんが教えてくれた。
念の為にチケットカウンターで確認すると、今からだとVIPの1席しか残っていないと言われてしまった。それじゃあ仕方ない、別の手段を考えるか~と宿に帰ろうとしていたら

「さっきの警備員が他の鉄道チケットを買える場所に連れていってくれるらしいから行こう!!」と、ヒッピーさんがいつの間にか話をつけていた。

親切な警備員だな~と思いつつ、ヒッピーさんと警備員についていった。なぜか警備員は、構内どころか駅の外にまで出てしまう。それでも歩みを停める素振りがない。

あれ?なんかおかしくないか?なんで警備員が持ち場を離れるの?と、警備員の取る行動に少し疑問符が付いていた。しかし、その疑問符は、「それがタイ人」の一言ですぐ解決した。


そんな事など関係なく、ヒッピーさんは警備員らしき人物と話をしながら、ごく自然と店へ入っていく。

なんかこの店・・・代理店ぽいけど・・・?何かおかしくないか?


そのまま店の中のカウンターへ進み、席にどっかと座り、店にいた中年のおばさんと英語で話し始めるヒッピーさん。そして、一緒に来たはずの警備員のオッサンは、その店の奥に入ったまま出てこない。 

おいおい、このオッサン・・・ひょっとしてこの代理店の経営者じゃねーのか?

それから数分後、「ツアーバスで850バーツって言ってるけど、どうする?」とヒッピーさん。交渉役を買って出てくれるのは、とても有難いのだけど・・・いつの間にか鉄道→バスになってるし、しかも鉄道のVIPとあまり値段が変わらないし、なぜか警備のオッサンは私服に着替えて赤ん坊を抱いてるし・・・オマエ警備の仕事はどうした? 

そして、いつの間にか購入前提で話が進んでいるこの空気はどういうこと?

「今日一日考えてからにします」と言って、店を出た時に見たヒッピーさんの目は、ここで買わないと損するよ、と訴えかけていた。

結果的には、そこでチケットを買う必要はなかった。なぜならバスステーションで購入したチケットのほうが安く、タイのツアーバスは盗難が多くて、あまり信用出来ないという話を後から聞いたからだ。

何よりも、購入を薦めたヒッピーさんの目には、一点の曇もなかったというのが一番怖かった。

その日の夜、一緒に飲んでいる時にホロッと、ヒッピーさんが身の上話をしてくれた。そういった話は相手から言わない限り、こちらから聞くことはない。自分の中では、それが不文律のようになっていた。それが旅人の鉄則である・・・とまとめれば格好いいかな?

ヒッピーさんはバンコクに来る前までは、老人ホームで介護をしていた。今は休職中なのか、辞めた後なのかは、こちらから聞かなかった。

介護職の前は、都内のクラブで働いていたらしい。ワークホリデーにも参加したことがあって、オーストラリアに1、2年ほど居たという話もしていた。そして今は、都内のゲストハウスに住んでいるということだった。

ワークホリデーや海外ボランティアに参加したことがある人は、ヒッピーさんのように友愛主義的な傾向が強いのだろうか?ふと考えてしまった。

ヒッピーさんは、なぜか月の満ち欠けをいつも気にしていた。そのこだわりようといったら、月齢カレンダーを肌身離さず持ち歩いていたくらいだ。 

ヒッピーさんがバンコクに来たのは、悪魔召喚プログラムを持っている人の仲魔になりたくて来たのだろうか?
だとしたら、満月の日にヒッピーさんと会話をするのは、避けた方が良いだろう。即戦闘状態に突入するのは危険である。

後からそれとなく聞いてみたら、「レイブ」という野外コンサートへ参加するために月齢カレンダーを持っているとの話だった。

えっレイ○?うわっ、危険なことを言うなよ~というのが第一印象だった。


レイブとは野外に人を集めて音楽をかけて踊るという、そこだけ切り取って判断すれば、至って健康的なイベントである。しかし、開催中に〇〇を吸う人もいるらしい。それぞれ色々な目的があって集まっているようだ。
レイブは日本でも色々な場所で行われていて、ヒッピーさんは何度か参加したことがあると言っていた。

都会生活から足を洗い、農業に覚醒した若者は、レイブに良く参加していると話してくれた(これはあくまでも個人の意見。皆が皆そうではない)一体何に覚醒したのかは、心の内だけの話だ。髪の色が変わることはないのだけは約束する。


タイでは何とか島で開催されているのが有名らしく、タイ人や外国人が弾け飛び合いながら、乱れに乱れ狂う物凄いレイブらしい。ヒッピーさん以外も、月齢カレンダーを持った第二の仲魔がいたので、事実だと思う。

この宿にいた数日間は、一生知ることがない話や、知り合うことがない人と会うことができた。とても味わい深い数日間だった。

もしここがルイーダの酒場だったら、ここで仲間集めをすることはないと思う。

ヒッピーさんはこの後、カンボジアに渡り、アンコール・ワットを見ながら絵を書きたいと言っていた。
書きたい絵というのは、アンコールワットを単に写生したものではなく、アンコールワットを見た時に感じた感情や情緒を、絵で表現したいと言っていた。ヒッピーさんは言うことが、最後までヒッピーだった。

クラブを経営したいと熱く語ってくれたヒッピーさん。今はその夢に向かって邁進中なのだろうか。

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