その9

エトセトラジャパンニーズ1


私が海外で会った日本人は、外してはいけないリミッターを解除していた人の方が多かった気がする。そこには一期一会という名言を忘れさせるくらいのエゴイスティックさと、カオスな人間の一面を垣間見ることが出来た。

ここでは日本人宿で会った女性の話を紹介する。この宿で会った女性は、それぞれ色々な事情を抱えた人が多かった。


ある日の深夜、目が覚めたのでついでに洗濯物を取り込むかと屋上へ行くと、ビルの端でボーッと立っている女性がいた。あと一歩踏み出せば、別世界へ旅立てるギリギリの場所だった。どこを見ているかはわからないけど、少なくとも隣のビル覗き見ているわけではなさそうだった。

その時は普通に会話をしていたので、あまりに気にしなかった。しかし今思えば、あれはまずい状況だったのかもしれない。気のせいかもしれないけど・・・

女性の年齢は22、3歳ぐらい。やや華奢な感じで、色の白いおとなしい女性だった。70年代の高校生を彷彿とさせる女性だった。話の受け答えはやや幼い感じがしたけど、普通の女の子といった感じだ。名前は仮にAさんということにしよう。

その子と仲良くなった人が教えてくれた情報によると、Aさんは高校生の頃から不登校気味で、せっかく入学した大学は数週間ほどで辞めてしまったらしい。それからの数年間は、引きこもり生活を送り、最近になってバイトを始めたという話だった。
今回はそのバイトを休んで、1ヶ月ほどタイを旅行しているということだった。

おそらく、Aさんは見えない心の傷を負っていたのだろう。男性にとって、心の傷を負っている女性は、守ってあげたくなる気持ちを呼び起こすのかもしれない。
Aさんは人を傷つけまいと曖昧な態度や話し方をするので、それを自分の良いように解釈してしまう男性が何人かいた。
また、人との距離のとり方をあまり気にしないので、誰に対しても簡単に自分の身の上話をするようだった。それを自分に気を許していると勘違いして、男はのぼせ上がるのだろう。

Aさんは50歳近い中年のオッサンや、30歳近くの青年にストーカー行為を受けていた。悪いことに二人共、自分がストーカーに変貌をしつつあるという自覚が全くなかった。


結果、怖くなったAさんは、逃げるようにして帰国してしまった。

「魔性の女」と呼ばれる人の中には、Aさんのように無自覚のまま、周りの男性を勘違いさせる人が結構多いのかもしれない。


日本人宿には鬱病で休職して、バンコクへ遊びに来ていた女性もいた。この女性はBさんということにしよう。年齢は25、6歳。少し膨よかな女性だった。

Bさんは鬱病で休職してから、今回で3回目のバンコクと言っていた。自分は普通のOLとは違う!というのがBさんの口癖だった。正直、何が違うのかは最後までわからなかった。
Bさんは観光でバンコクに来ているのに、宿の外へ出ることはほとんどなかった。もう3度目だから、バンコクには行く場所が無いらしい。なぜかBさんには、他の地方へ移動するという発想は無いようだった。タイは北から南まで観光資源が豊富な国にも関わらずだ。
どうやらバンコクへ旅行に来たというよりは、日本人宿に泊まることが目的だったと思う。
Bさんは会った男性と、すぐにオープンマインドになることで有名だった。まるで、フリー〇〇〇〇を提唱していた夫人のような性の探求者である。
そっち目的ならわざわざ海外に来なくても、国内のゲストハウスでも良いような気がするけど・・・どうなんだろう?国内だと知り合いに目撃される可能性があることを気にしているのかもしれない。

Bさんは、私は鬱病よ!と周りの人に対し強烈にアピールしていた 。自分が病気であることを話に織りまぜてきたり、錠剤の殻をこれみよがしに置いたりといった行動が多かった。

そんなBさんに群がる男性は多かった。Bさんを相手にすれば、わざわざタイ人女性にお金を払うよりも、安上がりだからという考えだろうか。しかし、Bさんの難しい性格についていけなくなり、いつの間にかほとんどの男性は離れていったと思う。Bさんは俗に言う「ヤンデレ」だった。

一度でもオープンマインドになれば、そこからは嵐のようなアピールが待っている。結婚を迫ってくる、何度もメールを送ってくる、子供が出来たと言ってくる等、そこには、「大人のコミュニケーション」という社会のオブラートは微塵も感じられず、持て余した感情エネルギーをハリケーンのようにトコトンぶつけて来るだけである。ぶつけられた方は、ただ嵐が去るのを待つだけだ。

Bさんはまだあの宿にいるのだろうか?満たされない心の容器を持ったまま、今もバンコクを彷徨いているのかもしれない。